日本郵船 氷川丸

1930年代の豪華貨客船

氷川丸は、1930年にシアトル航路の豪華貨客船として建造されました。当時は豪華客船の建造が続き、客船文化が花開いた時代でした。戦時中は海軍特設病院船となり、3回も触雷しましたが沈没を免れ、戦後は再び貨客船として復帰しました。建造から30年を経て第一線を退くまで、太平洋を254回横断し、25,000人以上の船客を運ぶなど、大活躍をしました。現在は山下公園に係留されていて、内部を見学することができます。

山下公園に係留されている氷川丸。シックで落ち着いた船体は、現在の感覚でも美しいと思う。


ロビー。中央スクリーン上では氷川丸の歴史などが放映されていた。


丸窓からみなとみらいを見る。


一等船客が中心

船内には一等○○と名付けられた設備が多くありますが、すべて一等船客専用です。ものすごい差別のようにも見えますが、運賃格差から当然だったのでしょう。ちなみに、竣工当時の片道運賃は一等で約500円でした。当時、日本郵船の初任給は70円で、1,000円あれば家が建ったそうなので、べらぼうな運賃だったと言えます。横浜からシアトルまでの船旅は、13日間でした。

ロビーを抜けると最初に目に入るのが一等児童室。子供の遊戯室で、スチュワーデスと呼ばれる専属の女性乗組員がいました。大人はディナーの時など、子供をここに預け、ゆっくりと食事ができたそうです。

一等児童室。


一等食堂。


一等食堂から、一等社交室や一等喫煙室のある最上階デッキに出る階段。


簡素で落ち着いた内装の一等読書室。読書や手紙を書いて過ごす場所らしい。ただ、手紙を誰がどうやって届けたのだろう。


一等社交室は氷川丸のメインホールで、公式レセプション会場として使用されていました。夜はイスを片付けてダンスパーティ会場になるなど、主に女性の社交場として使われていました。アール・デコの装飾がいたるところに見られる華やかな内装になっています。

一等社交室。確かに女性好みの内装と言えそう。


氷川丸には170人近い乗務員が乗船していました。レーダーや衛星航法システムのない時代、天体の観測と六分儀などで自船の位置を確認する作業は、とても重要だったようです。

方位鏡など、自船位置を確認するための道具。何か頼りなさげに見えるが、こんな機材でよく太平洋を横断していたと思う。


当時の日本からの主要な輸出品だった生糸。湿度変化に大変敏感だったため、厳重に梱包されて出荷されました。

梱包された生糸のサンプル。


一等喫煙室には、世界の上級品のお酒やたばこが揃っていました。たばこをふかし、グラスを傾けながらカードゲームを楽しむ、主に男性客の社交場でした。

一等喫煙室。


一等客室には、温水の出る洗面台、快適なベッド、自由に調整できる空調設備など、最新式の設備が導入されていました。一等特別室は、チャップリンや秩父宮両殿下をはじめ、各国の貴賓や著名人が利用した、豪華客室です。

一等客室。これなら船旅を楽しめそう。


さらに豪華な一等特別室。


三等船室。一等船室とは雲泥の差。機関室と同じフロアにあるので、きっと寝る時もうるさかったと思う。


デッキ。


甲板から見る煙突。


操舵室。船内の各部署の状況が把握できるように、さまざまな装置が集まっている。


男の職場としてはカッコいいと思う。


船長室。操舵室の真下にあり、操舵室に直接指示を出せる。


迫力のある機関室(エンジンルーム)

機関室は船の心臓部です。8気筒のディーゼルエンジンが左右に1基づつ配置されています。竣工当時の最新鋭のエンジンで、今では貴重な産業遺産になっているそうです。

機関室。油まみれというイメージはない。



関連情報

住所神奈川県横浜市山下町公園地先 日本郵船氷川丸
電話番号045-641-4362
休館日月曜日。祝日の場合は、翌日休館。
開館時間10:00~17:00
交通地下鉄みなとみらい線「元町中華街」下車、徒歩3分。
駐車場なし
入場料一般300円/シニア(65歳以上)200円/小中高生100円

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